デーリー東北新聞社『創食人』で紹介していただきました。
デーリー東北新聞社様の許可を得て掲載させていただきました。
下記PDFでご覧ください。
自然いっぱいの青森県から純粋国産 はちみつ をお届けします。青森県名川町のリンゴ、青森県のアカシア、青森県十和田湖のトチ、青森県の百花、菜の花、栗蜂、蕎、さくら等。
デーリー東北新聞社様の許可を得て掲載させていただきました。
下記PDFでご覧ください。
2014年4月5日(土)あさ9時35分からABA青森朝日放送 夢はここから生放送 ハッピィで当蜂場が紹介されました。
中井友紀アナウンサーと津軽三味線奏者ギャレス・バーンズさんが「ハッピィ」探しの旅に出るをコンセプトに、当蜂場の「ハッピィ」に会いにきてくれました。
4月に米寿になる石蔵じっちゃんが、対応しましたよ。物おじしないじっちゃんの「石蔵節」で終始笑顔の取材でした。
中井アナとギャレスさんは、国産はちみつ未体験の様で、当蜂場の色々な蜂蜜の味の違いに驚いておられました。
前回掲載のモモ散歩に当養蜂場が掲載されました!に引き続き、モモ散歩パート2です。
三沢のシンガーモモちゃんは、本当にミツバチ達が大好きになってくださったようです。なんと2回も取材に来て下さいました。しかも、単なる体験ではなく、お手伝いまでしてくださって、暑い中大変だったと思います。
しかも、大変なお勉強家。図書館まで行って蜂の生態まで調べたようで、蜂博士のようです。私達より詳しいかもしれません。
このモモちゃんのライブ・コンサートが9月22日に三沢市公会堂で行われます。デビュー10周年記念ライブだそうで、じっちゃんと共に大変楽しみです。
ライブ情報は、うたうたいモモと後女将ももの毎日・・・のホームページでご確認ください。
前回紹介させていただいた「三沢市出身シンガー『長堀もも』ちゃんが取材に来てくれました」の取材内容がYoutubeにアップされました(2013年6月)。かわいいモモちゃん渾身の映像をご覧ください。
2007年4月25日午後5:00〜7:00の『スーパーJチャンネルABA』の「あの町この町」のコーナーで約10分間ほどおいらせ町の紹介があり、その中で放送東養蜂場が紹介されました。ミツバチ達の半分はじっちゃんといっしょにまだ千葉でしたので、残念ながらじっちゃんは出られませんでした。
この日のレポーターは以前BeFMでお世話になった小笠原ちえ子さんでした。養蜂の取材は初めてだそうで、巣箱の蜂の多さと羽の音にびっくりしたり、いろいろな蜂蜜を食べてみては「おいしい!」といってくださり楽しんでくださったようです。特に「さくら蜜」がおいしいと意見が一致したようです。
ミツバチの世界に明け暮れる養蜂業。この道五十年という大ベテランの東さんが、二百箱にもおよぶ巣箱を携えて、青森から銚子へやってきた。寒さに厳しい地を逃れ、春がくるまで温暖な銚子で過ごすミツバチたち、七百キロを移動する「ハチ屋さん」の春に密着した。
12月から翌年4月半ばまで、ミツバチたちは銚子で過ごすのだが、ただ放っておかれるわけではない。蜜のとれる花のないこの季節、ミツバチが餓死してしまわないよう、エサをやらなくてはならないのだ。そのため、石蔵さんは月に一度の割合で、青森から奥さんの智子さんとふたり、ミツバチの世話をしにやってくる。養蜂場をまわり、ひとつひとつ巣箱のふたを開けて、ミツバチの様子を確認していく。寄生虫にやられていないか、巣分かれしていないか、エサが不足していれば足してやり、巣が汚れていればブラシできれいにしてやる。すべての養蜂場をまわり、世話をするのに十日ほどかかる。
4月23日、いよいよ青森に帰る日がやってきた。トラックに巣箱を積み込む作業は、ミツバチたちがすべて巣箱に戻る夕方六時過ぎ、太陽が山陰に隠れ、周囲が薄暗くなってから始まった。(中略)夜十時、ミツバチを積んだトラックが出発した。(中略)いまでこそ、銚子から百石町まで一気に北上してしまうが、ほんの十年ほど前までは,茨木県や福島県などで菜の花の蜜を採りながら、ひと月ほどかかって帰ったものだったという。それができなくなってしまったのも、やはり菜の花畑がすくなくなってしまったためだ。
「そろそろ蜜がたまっているはずだから・・・」石蔵さんからの待ちに待った電話が届いたのは、五月十三日。翌日早朝、車を飛ばして青森へと向かった。(中略)八戸自動車道に入ると、ちらほらと桜の花が咲いている。まるで季節の時計を逆回しにしたような光景だ。銚子を出て九時間、ようやく百石町の東養蜂場に到着した。 養蜂家の朝は早い。(中略)午前七時、リンゴ畑に到着すると、一服するまもなく、作業にとりかかった。ミツバチは昼間集めた蜜から、一晩かけて水分を取り除き、そうして出来た純度の高いはちみつを巣穴に入れ、ミツロウと呼ばれる分泌液でふたをして、冬場の食料として貯蔵していく。この純度の高いはちみつが欲しいのだが、そのためにはミツバチの活動がまだ活発でない朝の早い時間にはちみつを採ってしまわなければならない。というのも、ミツバチが活動を始めると、その日に集めた水分を含んだ蜜が混ざってしまうからだ。
はちみつの入っていない状態でも、巣箱の重さは十五キロほど。ここにたっぷりのはちみつが加わると、ぐっと重みが増し、持ち上げる腕にズシリとこたえる。一箱、二箱ならともかくこれが百近くもあり、さらにハチに刺されないよう、長袖シャツに長ズボン、手袋とネットの付いた帽子という重装備。流れ落ちる汗を拭くこともままならない。採蜜は、はちみつの甘い香りにつつまれたキツイキツイ仕事なのだ。
その日の晩、石蔵さんの自宅でさっそくリンゴ蜜の試食。黄金色に透き通ったはちみつをスプーンにすくい、そのままペロリと舐める。心地よい上品な甘さがじわりと広がり、ほんのりとだがリンゴのフルーティーな香りが感じられた。
「旅」JTB社 2000年4月号より 文.新垣譲氏「Outdoor」山と渓谷社2000年6月号より南北に細長い日本では、かつては転地養蜂がさかんに行われていた。九州を振り出しに早春スタートすれば、北海道にたどり着くまでの約半年間、かなりの蜜を集めることができたという。しかしながら開発による蜜源(ミツバチが蜜を集めるのに適した花畑)の減少で、いまや転地養蜂家は全国で200人もいないというのが現状だ。さらには海外からの安い輸入はちみつに押され、国内生産量は輸入物のわずか10分の1以下となってしまった。それだけに、じっちゃんやばっちゃんとミツバチたちが作り出したはちみつは、とてもとても貴重なものといえるのである。