ミツバチと花のジプシー.

冬、石蔵は蜂たちと銚子に向かいます。

石蔵と蜂たち

ミツバチの世界に明け暮れる養蜂業。この道五十年という大ベテランの東さんが、二百箱にもおよぶ巣箱を携えて、青森から銚子へやってきた。寒さに厳しい地を逃れ、春がくるまで温暖な銚子で過ごすミツバチたち、七百キロを移動する「ハチ屋さん」の春に密着した。

厳しい青森の冬を逃れ、春にまたミツバチたちにたくさんの蜜を集めてもらうため、温暖な銚子で世話をします。

12月から翌年4月半ばまで、ミツバチたちは銚子で過ごすのだが、ただ放っておかれるわけではない。蜜のとれる花のないこの季節、ミツバチが餓死してしまわないよう、エサをやらなくてはならないのだ。そのため、石蔵さんは月に一度の割合で、青森から奥さんの智子さんとふたり、ミツバチの世話をしにやってくる。養蜂場をまわり、ひとつひとつ巣箱のふたを開けて、ミツバチの様子を確認していく。寄生虫にやられていないか、巣分かれしていないか、エサが不足していれば足してやり、巣が汚れていればブラシできれいにしてやる。すべての養蜂場をまわり、世話をするのに十日ほどかかる。

春の訪れとともに採蜜の時期が近づきます。

4月23日、いよいよ青森に帰る日がやってきた。トラックに巣箱を積み込む作業は、ミツバチたちがすべて巣箱に戻る夕方六時過ぎ、太陽が山陰に隠れ、周囲が薄暗くなってから始まった。(中略)夜十時、ミツバチを積んだトラックが出発した。(中略)いまでこそ、銚子から百石町まで一気に北上してしまうが、ほんの十年ほど前までは,茨木県や福島県などで菜の花の蜜を採りながら、ひと月ほどかかって帰ったものだったという。それができなくなってしまったのも、やはり菜の花畑がすくなくなってしまったためだ。

リンゴ畑で始まる採蜜

蜂箱に群がるミツバチ

「そろそろ蜜がたまっているはずだから・・・」石蔵さんからの待ちに待った電話が届いたのは、五月十三日。翌日早朝、車を飛ばして青森へと向かった。(中略)八戸自動車道に入ると、ちらほらと桜の花が咲いている。まるで季節の時計を逆回しにしたような光景だ。銚子を出て九時間、ようやく百石町の東養蜂場に到着した。 養蜂家の朝は早い。(中略)午前七時、リンゴ畑に到着すると、一服するまもなく、作業にとりかかった。ミツバチは昼間集めた蜜から、一晩かけて水分を取り除き、そうして出来た純度の高いはちみつを巣穴に入れ、ミツロウと呼ばれる分泌液でふたをして、冬場の食料として貯蔵していく。この純度の高いはちみつが欲しいのだが、そのためにはミツバチの活動がまだ活発でない朝の早い時間にはちみつを採ってしまわなければならない。というのも、ミツバチが活動を始めると、その日に集めた水分を含んだ蜜が混ざってしまうからだ。

採蜜は重労働

採蜜風景

はちみつの入っていない状態でも、巣箱の重さは十五キロほど。ここにたっぷりのはちみつが加わると、ぐっと重みが増し、持ち上げる腕にズシリとこたえる。一箱、二箱ならともかくこれが百近くもあり、さらにハチに刺されないよう、長袖シャツに長ズボン、手袋とネットの付いた帽子という重装備。流れ落ちる汗を拭くこともままならない。採蜜は、はちみつの甘い香りにつつまれたキツイキツイ仕事なのだ。

リンゴ蜜はフルーティー

その日の晩、石蔵さんの自宅でさっそくリンゴ蜜の試食。黄金色に透き通ったはちみつをスプーンにすくい、そのままペロリと舐める。心地よい上品な甘さがじわりと広がり、ほんのりとだがリンゴのフルーティーな香りが感じられた。

「旅」JTB社 2000年4月号より 文.新垣譲氏

page top